三川内焼について
■平戸藩の御用窯として
三川内焼 唐子
江戸時代、平戸藩では城内で狩野派の絵師が御用絵師として絵手本を描き、三川内の陶工が、粛々と献上品としての焼物を作っておりました。
白い焼物を目指す陶工たちは、早岐瀬戸に砥石として荷揚げされた天草陶石を発見し、針尾島の網代石と融合して、細密な彫刻物・細工物、そして薄づくりの焼物を生み出しました。
■三川内焼白磁の特性
薄胎
中島浩気著「肥前陶磁史考」に「窯出しせる素焼物を冷却後白布にて空拭きを行ない、そして付着せる微粉を除くとともに、地肌を清らかにする技法あり。又、生坏の製品に呉須汁を吸収せしめて、焼成後だみ痕を見せざる技法あり、是等は、天草と網代との調度においてのみ為し得る製技なるか、有田の原料にては不可能である」と記載されており、これがまさに平戸焼(三川内焼)白磁の特性であり、真の白磁発祥の地となった所以であります。
■海外から賞賛
シカゴ博にて受賞
江戸時代後期から明治時代、パリ博、シカゴ博など世界万博が催され、三川内焼は各万博で金賞を受賞するなど、世界を魅了します。
■三川内焼の中興の祖
平戸藩最後の御用窯の棟梁 古川運吉の甥「豊島政治」は、明治18年に萬宝山商舗、明治23年には三川内焼陶磁器意匠伝習所を開設し(現 嘉泉窯の敷地内)、藩主の庇護のなくなった廃藩置県の後、東京美術学校(現、東京芸大)から師を招くなど三川内焼の技術が疲弊しないよう尽力した、三川内焼の中興の祖と言われています。
嘉泉窯について
安土桃山時代、初代 金氏太右エ門に始まり、江戸時代、平戸藩主松浦公の庇護のもと御用窯として作陶をし、繊細優美と表現される三川内焼の原点を今に伝え続けています。
一方で、オリジナルブランドの開発など、手書きの柔らかさと素材を活かした温もりある優しい器づくりで、日常使いとしての三川内焼の普及にも尽力しています。
一葉
14代 金氏 嘉次
昭和天皇に「薄胎の台付せん茶」を献上。
15代 金氏 嘉一郎
三川内陶磁器工業協同組合の理事長を14年務め、
オリジナルブランド「一葉」を手がける。
天皇皇后両陛下が使用された器
平成14年
「全国豊かな海づくり大会」において、天皇皇后両陛下がハウステンボスの迎賓館で使用される器を作陶。
ハロー・キティコラボ商品
平成21年
ハロー・キティ35周年伝統産業コラボ企画にて、薄胎の唐子絵ハロー・キティをデザイン。
亀山焼
平成22年
亀山焼の復元に取り組み、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にて使用される。
ましろ
平成26年
香りたつ丸み、口当たりの良さ。くつろぎのための真白き器「ましろ」誕生。